交わらなさを記述する言葉

この交わらなさを名づけ、考えるための言葉が、あってよかった、と思った。

 

マンスプレイニングという言葉を知っててよかったな、と今日思った。

何も知らない人扱い。私、あなたたちより10年くらい長くこの仕事やってるんですが…って思っても言わないできた。そのほうが「円滑に」進むことは知っているし、その場の円滑さを保つことが、私の役割なんだろうなと知っているから。

 

この2年、そうやって円滑第一にやってきたら、身体がついにおかしくなった。胃腸のみなさんが消化吸収と排泄の職務をストライキし始めた。私は食事がとれなくなり、一気に7キロ落ちて、血液検査結果はバッチリ貧血の数値を叩き出したがこれじゃあ鉄剤も飲めない。もう3ヶ月近く、うどん半玉を食べきれないような食生活でなんとか生きてる。

もう無理!!

円滑第一の方針を、健康第一に変更します!!

 

今日の打ち合わせからは、今まで知ってて言わなかったことと、思ってて言わなかったことを、もう言っちゃうことにした。

…なんかシーンとしてたけど、もういいや。私うどん食べたいねん。食べられる胃腸に戻りたいねん。

 

私は私の積み重ねてきた経験に基づいて、かれらとは別の意見を持っていること。

私たちは交わらないけれど、敵対せず、協働できると信じていること。

マンスプレイニングという言葉を知ってて、思い出したことで、私はきょう、あの場の沈黙にビビらずに、言おうと決めたことを言い切った。

立ち位置と視点が違い、意見が異なることこそが、このチームを豊かにするはず、と私は信じる。少なくとも、信じているかのように振る舞う、と決めた。

 

 

交わらなさを名づけ、記述する言葉は、分断するためではなく、協働するためにあったのだと気づいた。ならばもっと知りたい。私にはもっと、その言葉、その知恵が必要だ。

資さんの肉ごぼ天うどんを食える日がまた戻ってきてほしいんだよ。もーほんと!治って!胃腸!つら!

修羅の国の新生活

お題「#新生活が捗る逸品」

仙台から小倉(北九州)に引っ越した。

仙台は坂だらけ、いやむしろ山だった。山の上の職場に通勤することとなって、持ってた3段変速のママチャリで頑張って2年通った。引っ越し貧乏だったので2年ちまちま貯金して、やっとこ原付買った。仙台、圧倒的車社会なんで行きたい店も安い店も、車ないと行けない、山だし! そんなわけで2年がまんした行きたいとこ行きまくったよ原付で。いちばん遠くまで行ったのは大河原の一目千本桜だった。さむくて死ぬかと思ったしそれ以前に市内でガソリン入れそびれたらその先ずーっとガソスタなくて、ガス欠で原付が死ぬかと思った。ファンヒーターの灯油が切れた深夜、凍結した道をおそるおそる灯油買いにいって坂道で死ぬかと思った。雪の朝の通勤時、定禅寺通りから晩翠通りに左折しようと思ったらわだちから抜けられず、焦ってハンドル切ったら完全にコントロール失って歩道の雪の壁に突っ込んでコケた。夏のゲリラ豪雨の中帰宅途中、西公園通りから中ノ瀬橋へ左折中になぜかエンストして何とか路肩に寄せて歩いて帰った。仙台の思い出は原付と共にあり、だいたい死ぬかと思ってた。大好きだよ仙台また住みたい。

 

で、仙台から小倉に引っ越したときも、なんとか激安で運んでくれる業者みつけて、九州まで連れてきた。東北から九州て…ほとんど外国ですやん、という転居にビビりまくっており、なにかひとつでも、新しい街でも変わらず一緒に歩いてくれる存在がほしかったのだ。

しかし暮らし始めてわかったのは、原付に乗る機会がほとんどないことだ。小倉の街は都市機能が中心部にコンパクトにまとまっていて、地形も平坦なので、自転車でほぼ生活が完結するし、モノレールと西鉄バスで大抵のところへ行ける。

ぶっちゃけ自転車のほうが小回りきいて便利だよなあ、と思いながら、ほとんど無理やりちょっと郊外のカフェとか大きいホムセンに行ってみたり。それすらこのコロナ禍では思うようには行きづらい。

 

ある夜。「警察24時」が、たまたま仙台北署と住んでたあたりの街の風景なもんで見入っていたところに電話かかってきた「駐輪場に原付がないよ!」って。テレビの仙台北署から、リアル小倉北署に出向いて盗難届を出すハメにあった。

皆目見当つかぬ新生活を支え合う相棒だったはずの原付は、この街の生活にはちょっとオーバースペックで、任意保険やら諸々の整備費やらを少々重く感じ始めていた。コロナ禍になんとか新しい仕事を見つけ、行きつけの店とかかりつけ病院を一通り見つけて、なんとか生活が回り始めたかな、というタイミングを見計らったかのように、原付は姿を消した。

盗難届を出してから1ヶ月くらい、今まで通り原付のキーは家の鍵と一緒に持ち歩いていた。盗まれたとか勘違いで、自分でどっか乗ってって置き忘れたんだとしか思えなかった。だけど行きそうな場所を一通り何度見に行っても、どこにもいなかった。

廃車届を出し、保険解約の電話をかけ、書類を取り寄せ、書き…手続きを一歩進めるたびに、ああもういないんだ、という現実が迫ってくるようで、おそろしく気が進まない。もうポストに投函するだけの封筒がいつまでも手元にある。失ったのは原付であり、そして本当に本当に大好きで離れたくなかった、仙台の暮らしだった。

 

…前置きが死ぬほど長かった。そんなわけで新生活が捗る逸品は、自転車です。

馬借のクエストまで。ニトリまで。チャチャまで。リバーウォークまで…原付で覚えてた時間の感覚を、自転車時間に書き換えていかなきゃない。すっかり塗り替えられたころに、やっとこの街に住んでる実感が持てるのだろうか。

ちなみに買ったのはこれ。本気の坂がないこの街にちょうどいい。あと、もう自宅駐輪場で盗まれたくないんで、家ん中に置いとける軽いやつな。

修羅の国で生き延びてやる。

https://www.cb-asahi.co.jp/lp/products/ownbrand/weekendbikes/

真ん中探す旅(1)情報収集

旅っつっても何すりゃいいか分かんないので、まずは網を大きく広げて情報収集することにした。

 

俺氏、ちっちゃな頃から活字中毒で、ずーっと活字の仕事してきたし、明らかに親和性が高いネット媒体はTwitterとnoteとはてな、だったでしょ。

なので、この10年くらいネットサーフィンのほぼ全ての時間を費やしてきたTwitterを封印し、「あえて全く興味も関心もないアメブロとインスタをひたすら閲覧するという修行」を、まず自分に課すことにしました。

 

…最初の1ヶ月くらいはとにかく苦痛というか我ながら自分の行動が意味分からんというか。年度末ハイパー繁忙期の貴重な息抜きタイムに好きこのんで苦痛を味わってるんだろ…と空を仰いだものです。

まる4ヶ月くらい修行?にあけくれた結果、

 

アメブロ、いい感じのフォローリストになってきたよ。自分好みに偏向したTwitter経由では出会えなかった系統の分野や書き手に、やはり出会える。

 

インスタのフォローフィードは、自分の好きなもんばっか集めて詰め込んだ宝箱、みたいになってる。Twitterともアメブロともちがうテイストで、自分でも意外。好きしか入ってなくてすがすがしい。

活字媒体だと、自分のいらん見栄(この分野で仕事してる以上こういうの好きでなければならない、みたいな)が入り込み込みやすかったんだなと。インスタはとても気持ちいい。新鮮な感じ、今のところ。

 

アメブロ+インスタを主戦場にすると、どっぷり楽天経済圏に取り込まれますね。もともとイーバンク銀行からの楽天銀行+VISAデビットユーザーだったし、元仙台市民なんで楽天イーグルス応援したいし、まあいいか。)

ストライクゾーンど真ん中を探す旅(前振り)

ここだけ押さえたらあとはもう何でもいい

という、「ここだけ」を見つけたい。

 

いまの仕事、残業も休出も余程の繁忙期でない限りナイし、ぜんぜんラクな職場のはずで、自分以外のベテラン勢は、ダブルワークや育児や介護や、仕事以外のもう一仕事をこなすためにこの職場選んでるくらいなのだ。

にもかかわらず、もう体がボロボロですねん…なんか俺、燃費悪いんじゃないかな。いらんところにいらん労力使い過ぎなんちゃう?

バリバリおばちゃんズの働きかた、それはそれは上手に息抜きしつつ、納品物はハイクオリティ。

あの境地を目指したい。切実に!!

今年46歳、更年期の入り口に立っていて、これから5〜6年間、もっとどんどん動けなくなっていくんです。このままだとマジ身がもたないです。

 

そんなわけで私、2021年は「自分のストライクゾーンど真ん中を探す」みたいな作業を集中して行って、あとはどうでもいいよ〜んってできるよう準備を整える強化年間にしようと決めました。

こういう自分探しみたいなことに金使ったりプロを訪ねたりすること、なんとなく恥ずかしくて(自分のことくらい自分で分かれよって思って)やったことなかったんですが、今年はもう、なりふり構わずやりまくります。ええ。決めました。

 

さあ、はりきっていきましょー!!!

革命前夜

thank you for letting me know

知らせてくれてありがとう

ってこう言うのかー。

こころのメモ帳にメモしておきたいけど絶対忘れる。のでここに書いとく。

 

 

今日の会議に臨むのがあまりにもつらくて、きのう「盟友」Mに電話した。

ふくざつな立場がつらくて、つらくなくなりたいので、ふくざつじゃなくなってほしい…というのが一貫して私の悩みで、

Mが言った解決策は「環境(人間関係)をふくざつじゃなくす」こと(やめちゃうことも含めて)ではなくて、「ふくざつな立場なんだ、とはらをくくること」なのだと。

私の属性?アイデンティティ?そして持ち味であり役割は、マージナルな立ち位置から見えるもの感じることを、率直に、でも(なるべく)刀抜かずに、申し述べること、なのだよと。

 

あと、

インプットとアウトプットのバランスとるために、アウトプットの機会と媒体を持つようすすめられた。

私はインプット力が(自分では普通だと思ってるけど)存外高くて、持ってる情報量が大きいらしい。それを周りにいる人にアウトプットすると、普通に話したつもりのことが情報量多すぎで、圧がすごいらしい。ちょっと距離置いてつきあいたい…って思っちゃうらしい。それは私にとって、たいへん寂しいことだった。ほんとうに、長い間。

 

そんなわけでいまこれを書いている。

周りの人へのアウトプット圧を適正に保つために。周りへは捕りやすい球をゆるーく投げ、全力投球はどっか全然知らんところ、そしてこの球を必要としてくれるどこかへ。そうする必要が私にはあったのだ。

 

何を書くのか全然わからないけど、書き始めます。

しかしM、あなたはいったいなにものなんだ。よくそんなことわかるよな。すげーなと思った。

 

https://youtu.be/219q3PhaYuE